『10分の恋路(ラブロード)』
【登場人物】
・長谷川綾香(32) ……翻訳業務を行っている。幼少期から目が見えない。
・野田公平(23) ……新人駅員。仕事の覚えは早いが、どこか不満げな様子。
・坂井慎也(36) ……駅員。公平に優しく、厳しく指導する。
・岡島涼子(32) ……綾香の同僚で親友。恋愛しない綾香を少し心配している。
・長谷川たまき(56) ……綾香の母親。陰ながら綾香を見守る。
・仲村 純(54) ……公平と坂井の上司。お客様はもちろん、共に働く仲間も大事にしている。
白状で道を突く音。
綾香M「10月17日朝8時30分。一気に寒くなった。昨日まで「10月なのにまだ暑いね~」とか、「今年の紅葉はいつ咲くんだ?」とかそんな会話が今日からは、「急に寒くなったね~」とか、「あ、ハロウィンの飾りだ~」とかに変わるんだろうね」
白杖で道を突く音が止まる。
車の走行音。
綾香M「私は前者の会話には参加できても、後者の会話に加わることはできない。温度は感じられても光は感じられない。年を越して時代が変化していっても、私は目の前はずっと変わらない。長谷川綾香には影しか存在しない……」
タイトル『10分のラブロード』
小鳥のさえずり音。
扉の開く音。
公平「おはようございます」
仲村「お、おはよう。君か、今日から配属の新人は」
公平「野田公平です。よろしくお願いします」
仲村「仲村純です。一応この駅の責任者やってます。よろしく」
扉の開く音。
坂井「おはようございます」
仲村「おはよう、坂井君」
坂井「誰?」
公平「野田公平です。今日からお世話になります」
坂井「あ、そっか。新人来るの今日だったっけ。坂井です。よろしく」
公平「よろしくお願いします」
仲村「坂井君。野田君に更衣室へ案内してやってくれ」
坂井「わかりました」
仲村「それから野田君には、いつも坂井君がやっている仕事から始めてもらうよ」
公平「はい」
電車の走行音。
交通系カードが改札を通す音。
公平「ご乗車ありがとうございます」
坂井「いってらっしゃいませ」
公平「……結構この駅から乗られる人多いんですね」
坂井「まあこの辺りは結構アパートとか多いからね……そろそろだな」
公平「え?」
白状で道を突く音が少しずつ大きくなる。
坂井「おはようございます。長谷川さん」
綾香「その声は坂井さんね。おはようございます」
坂井「今は9時2分。2分の遅刻ですね」
綾香「途中で信号に引っかかってしまって」
坂井「そうですか。じゃあ今日はちょっと運の悪い日ですね」
綾香「(苦笑して)ええ」
公平「……」
綾香「あの、お隣に誰かいますか?」
坂井「はい、いますいます。ほら、挨拶して」
公平「あ、はい……はじめまして。野田公平です。今日からこちらの駅で働くことになりました」
綾香「野田さん。はじめまして、長谷川綾香です」
公平「よろしくお願いします」
坂井「長谷川さん。明日からこの野田が中心に綾香さんをサポートします」
綾香「坂井さんは?」
坂井「僕は別の駅で働くことになりまして、下地駅での勤務は週一回くらいになるんですよ」
綾香「そうなんですか」
坂井「はい。では行きましょうか。野田さん、よく見ておくように」
公平「はい」
坂井「長谷川さん。僕はあなたから見て左側に立っています」
綾香「いつもと同じですね」
肩に手を置く音。
坂井「進みます」
綾香「はい」
白杖で道を突く音。
坂井「止まります。右手側に改札があります」
白杖で道を突く音が止まる。
交通系カードが改札を通す音。
坂井「進みます」
白杖で道を突く音。
坂井「右へ曲がりますね」
白杖で道を突く音。
坂井「今綾香さんから見て右側にベンチがあります。座って待っていますか?」
綾香「ううん。いつもと変わらず立って待ってます。それとも新人君指導の為に座った方がいいかな?」
坂井「いえ、大丈夫です。行き先は豊橋駅でよかったですよね」
綾香「ええ。お願いします」
坂井「わかりました。では連絡してきますね。野田さん、行こう」
公平「はい」
電車の通過音。
坂井「いや~それにしても今日から急に寒くなりましたね」
綾香「ええ、ホントに」
坂井「長谷川さんは暑いのと寒いの、どっちが嫌いですか?」
綾香「う~ん、寒いほうですかね。見えないこともあって、モノを触るととても冷たく感じるので」
坂井「ああ~なるほど。手袋もなかなかしにくいですもんね」
公平「(小声で)え、どうしてですか?」
坂井「それは——」
綾香「視覚障害者にとってはね、触覚は聴覚と同じくらい貴重な情報なの。手袋をしちゃうと、わかるものもわからなくなってしまう」
公平「すいません……」
綾香「ううん、気にしないで」
アナウンス「まもなく電車が到着致します。危険ですから黄色の線の内側でお待ちください」
電車が近づいてきて止まる音。
電車の扉が開く音。
白杖で道を突く音。
坂井「気をつけていってらっしゃいませ」
公平「いってらっしゃいませ」
綾香「行ってきます」
電車の扉が閉まる音。
電車が少しずつ走り出す音。
坂井「ここまでが朝の流れ」
公平「はい」
電車の音(車内で聞こえる「ガタンゴトン」)。
綾香M「私の住んでいる下地駅から職場の豊橋駅まではたったの五分。その五分で聞こえる音は電車の走行音と、誰かの話し声」
人々の話し声。
綾香M「音だけを聞くと乗っているのは数人かな~と思うけど、実際はもっと乗っているのかもしれない。スマホでゲームをしたり、音楽を聞いたりしているのかも……」
アナウンス「船町、船町です。右側の扉が開きます。ご注意ください」
電車の扉が開く音。
アナウンス「扉が閉まります。ご注意ください」
電車の扉が閉まる音。
綾香M「なんとなく気配や匂いで周りの様子はわかるようにはなったけど、百パーセント確信があって言えるわけではない。私にはそんな簡単なこともわからない……」
キーボードを叩く音。
男性の声「つまりこの研究ではシロの服を着るだけで、相手に好印象を与えられるということがわかったのです」
マウスのクリック音。
キーボードを叩く音が止まる。
綾香「涼子」
涼子「何? 綾香」
綾香「今この音声で「シロ」って出たんだけど、これってホワイトの白でいいんだよね? キャッスルの城じゃないよね?」
涼子「うん……字幕にはホワイトの白って漢字が出てるから、ホワイトの方で合ってるよ」
綾香「そっか。ありがとう」
涼子「その文訳したらお昼行こっか」
綾香「うん」
マウスのクリック音。
さっきと同じ男性の声が流れる。
キーボードを叩く音。
英語を話す女性の声が流れる(綾香が男性の研究結果を翻訳している)。
涼子「綾香はさ、恋愛しないの?」
綾香「え?」
うどんをすする音。
誰かの話し声もしている。
綾香「何よ急に」
涼子「いや独身で彼氏いない私が言うのもあれなんだけど、綾香は恋愛しないのかな~って気になってさ」
綾香「意地悪言ってる?」
涼子「なんで?」
綾香「……ううん。私はいいよ」
涼子「どうして?」
うどんをすする音。
綾香「……別にいなくても生活に困らないし。家には私をサポートしてくれる両親がいるし、職場には涼子がいる。特に恋人は必要ないよ」
涼子「でも家族だってさ、いつまでも一緒ってわけにもいかないじゃない? 私だってもしかしたら結婚して、寿退社するかもしれないよ」
綾香「涼子って結婚したら仕事辞めるの?」
涼子「例えばの話よ。今からでも大切な人を見つけてみたら?」
綾香「(ボソッと)思い出したらね」
涼子「え?」
綾香「……私のことはいいからさ、そういう涼子の方こそ早く見つけないといけないんじゃない? もう来年で四十三なんだし」
涼子「失礼ね。三十三よ」
二人の笑い声。
綾香M「涼子に小さな嘘を付いた。私は恋人が必要ないんじゃない。ただ忘れただけ……」
電車の音(車内で聞こえる「ガタンゴトン」)。
綾香M「私には視力と一緒に失ったモノがある。それは誰かを好きになるという気持ち。人は何をキッカケに人を好きになるんだろう……」
電車が止まる音。
電車の扉が開く音。
坂井「おかえりなさい、長谷川さん」
綾香「ただいま帰ってきました、坂井さん。隣には野田さんもいるのかな?」
公平「はい。おかえりなさい」
綾香「ただいま」
白杖で道を突く音。
坂井「朝は寒かったのに、昼間は暑かったですね」
綾香「ええ。だから昼ご飯はつい冷たいうどんを頼んじゃいました」
坂井「だったらその後、寒くなったんじゃありませんか?」
綾香「少し」
坂井「(苦笑して)あ、右手側に改札があります」
綾香「はい」
交通系カードが改札を通す音。
綾香「それじゃあまた」
坂井「ご乗車ありがとうございました」
公平「ありがとうございました」
白杖で道を突く音が少しずつ小さくなっていく。
坂井「明日からは早速野田さんにやってもらうからね。専門学校で大体のことは習ってるからいけるよね?」
公平「はい、頑張ります」
フライパンで何か(野菜)を炒めている音。
綾香「いただきます」
たまき「いただきます」
お味噌汁をすする音。
たまき「……うん、美味しい」
綾香「ちょっと薄くない?」
たまき「ううん、大丈夫」
綾香「よかった」
たまき「ありがとね、仕事で疲れて帰ってきているのに、綾香に晩御飯作らせて」
綾香「野菜炒めはすぐできるからいいよ。お味噌汁も簡単だし。それにたまには料理もしておかないと」
たまき「じゃあついでに洗い物もお願いしよかな」
綾香「いいよ。その代わりお風呂先入らせてね」
小鳥のさえずり音。
電車の走行音。
交通系カードが改札を通す音。
公平「ご乗車ありがとうございます」
坂井「いってらっしゃいませ」
白状で道を突く音が少しずつ大きくなる。
公平「おはようございます、長谷川さん」
綾香「その声は……野田さんでしたっけ?」
公平「はい、野田です」
坂井「長谷川さん、おはようございます。坂井です。今日一日は僕も彼の隣に付いていますので」
綾香「指導係ですね」
坂井「はい。じゃあ野田さん、誘導を」
公平「長谷川さん、僕は左にいます」
綾香「はい」
公平「……進みます」
白杖で道を突く音。
公平「止まります。右側に改札があります」
白杖で道を突く音が止まる。
交通系カードが改札を通す音。
公平「進みます」
白杖で道を突く音
公平「右に曲がります」
白杖で道を突く音。
公平「止まります」
白杖で道を突く音が止まる。
公平「長谷川さんの右にベンチがあります。自分は今から連絡してきます。豊橋駅ですよね?」
綾香「はい」
公平「わかりました」
電車の通過音。
公平「……今日も寒いですね」
綾香「ええ」
公平「……」
綾香「……」
アナウンス「まもなく電車が到着致します」
電車が止まる音。
電車の扉が開く音。
白杖で道を突く音。
公平「いってらっしゃいませ」
綾香「ありがとうございました」
坂井「お気をつけて」
電車の扉が閉まる音。
電車が少しずつ走り出す音。
公平「どうでした?」
坂井「うん。まず右や左を言うときは、相手から見て右って言った方だいいよ。対面のときに野田さんが右って言えば、野田さんから見て右なのか、長谷川さんから見て右なのか、混乱してしまうからね」
公平「気をつけます」
坂井「でも一番気になったのが……」
公平「なんですか?」
坂井「いや、これは今日が終わったら言うよ。もしかしたらこの後変わるかもしれないしね」
キーボードを叩く音(同時に入力音声も流れている)。
キーボードを叩く音が止まる。
綾香「(ボソッと)私ってやっぱりめんどくさいのかな……」
涼子「え?」
綾香「……ううん、なんでもない。なんかリンゴジュース飲みたくなってきたな~。涼子、コンビニ行かない?」
涼子「いいよ。久しぶりにジュースじゃんけんやる?」
綾香「うん」
綾香&涼子「じゃんけん、ポン」
綾香「私チョキだけど、涼子は?」
涼子「グー」
綾香「ズルしてない?」
涼子「してないわよ。てなわけで綾香の奢りね」
綾香「涼子にじゃんけん勝ったことないんだよね……」
電車の止まる音。
電車の扉が開く音。
公平「おかえりなさい、長谷川さん」
坂井「おかえりなさい」
綾香「ただいま」
公平「長谷川さんの左手側に自分がいます」
綾香「はい」
白杖で道を突く音。
電車の扉が閉まる音。
電車が走り出す音。
白杖で道を突く音。
公平「右手側に改札があります」
綾香「はい」
交通系カードが改札を通す音。
公平「ご乗車ありがとうございました」
綾香「こちらこそ一日ありがとうございました」
坂井「また明日」
綾香「はい」
白状で道を突く音が少しずつ小さくなる。
坂井「変わらなかったか……」
公平「え?」
坂井「長谷川さん。今日ずっと野田さんに対して敬語だったね」
公平「まだ会って二回目だからじゃないですか?」
坂井「僕のときは二回目からフレンドリーだったよ。なんで違うんだろう?」
公平「さあ……」
坂井「愛想が全くないからだよ。今日の一連の対応見ていて、ロボットみたいだったよ」
公平「……」
坂井「向いていないんじゃないかな、野田さんにこの仕事は」
白杖で道を突く音。
綾香M「十人十色。私のことを大切と思ってくれる人もいれば、面倒だなと思う人もいる。全員が全員、私を受け入れてくれるわけじゃない」
白杖が人に当たる。
スマホを落とす音。
綾香「ごめんなさい」
男の舌打ち音。
白杖で道を突く音。
綾香M「そんなことはわかってる。それでも……そういう人たちと遭遇すると、杖で心を突かれた感じがする……」
活気のいい店員の「いらっしゃいませ」の声。
人々の楽しそうな話し声。
仲村「お疲れ」
公平「お疲れ様です」
グラスがぶつかりあう音。
仲村「美味い! 今日は野田君の歓迎会も兼ねて僕が奢るから、もうジャンジャン飲んでよ」
公平「だから自分を誘ってくれたんですね。ありがとうございます」
仲村「うん……まあ本当は君を慰める為かな」
公平「え?」
仲村「坂井君に絞られたんだって?」
公平「はい……」
仲村「坂井君、反省してたよ。まだ入社して間もない新人に強く言い過ぎたって。謝っといてくれって言われたよ」
公平「まあ、坂井さんは何も間違ったこと言ってませんよ」
仲村「……彼女を対応するのが嫌か?」
公平「いえ、そんなことは」
仲村「じゃあもう一個の方か」
公平「え? もう一個?」
仲村「(鼻で笑い)君みたいな若者、これまで何人見てきたと思ってるんだ。言わなくてもわかるよ。若者特有の青臭さってやつがな」
公平「……」
仲村「野田君。君は貴重な出逢いをしたんだ。そのチャンスを無駄にするな。ここでの経験は必ず、今後の人生で活きてくる」
公平「チャンス、ですか……」
仲村「彼女にとって君が唯一の光なんだから。光がそんなに暗かったら、照らせるものも照らせられなくなるぞ」
小鳥のさえずり音。
電車の走行音。
交通系カードが改札を通す音。
公平「ご乗車ありがとうございます。いってらっしゃいませ」
白状で道を突く音が少しずつ大きくなる。
公平「おはようございます。綾香さん」
綾香「(戸惑いながらも)おはようございます。え、野田さんですよね?」
公平「はい、野田です。今日からは僕一人で、綾香さんに最高のおもてなしをさせていただきます」
綾香「……(クスッと笑い)そう。じゃあお願いします。公平ナビゲーターさん」
公平「はい。綾香さん。僕は今あなたの左手側にいます」
綾香「座ってる?」
公平「立ってます」
綾香「(苦笑し)はい」
肩に手を置く音。
公平「痛っ。なんか昨日より手の置き方強いですね」
綾香「頑張ってねって激励の意味で、ちょっと強くしてみた」
公平「なるほど。じゃあ進みます」
白杖で道を突く音。
公平「止まります。右手側に改札があります」
白杖で道を突く音が止まる。
交通系カードが改札を通す音。
公平「進みます」
白杖で道を突く音。
公平「右に曲がります」
白杖で道を突く音。
公平「止まります」
白杖で道を突く音が止まる。
公平「綾香さんの右手側にベンチがあります。僕は連絡してきますので。豊橋駅ですよね?」
綾香「はい」
公平「わかりました」
電車の通過音。
公平「あの、昨日は本当にすいませんでした。一日中機械的に対応してしまって」
綾香「いえ……」
公平「……」
綾香「……」
公平「……聞いていいですか?」
綾香「何?」
公平「目見えないのって生まれたときからなんですか?」
綾香「……」
公平「あ、ごめんなさい。別に興味本位とかで聞いてるとかじゃなくて……ほら、これから僕が対応していくわけですから、会話とか何が伝わって何が伝わらないのかな~って、それを知っておきたいな~って……」
綾香「……最初は五歳の時に左目だけが徐々に見えなくなっていってね、それで六歳の時には何も見えなくなった。同時に次は右目も見えなくなっていって……小学校二年生に上がったときには完全に視力を失っていた」
公平「小学生のときにもう……」
綾香「あ、同情とかやめてね。今まで散々されてきたから。冷たくされるのはもちろん嫌だけど、同情ばかりされるのもちょっとね……」
公平「……」
綾香「(苦笑して)朝からしんみりさせちゃったね。ごめんね」
公平「いえ……」
綾香「……」
公平「(ボソッと)意外にあるんだな」
綾香「え?」
公平「下地駅。来た時はホント何もないところだな~って思ってたんですけど、めちゃくちゃいろんなものありますね」
綾香「例えば?」
公平「……田んぼとか」
綾香「それは私でもわかるわ。そういう匂いがするもん」
公平「あとは……家?」
綾香「この辺りは住宅地って言われてるからね」
公平「……あ、屋根の色が……」
綾香「屋根の色が?」
公平「……面白い」
綾香「面白い? どんな風に?」
公平「どの家も大体青色なんですけど、微妙に違うなって。濃い青の屋根もあれば、ちょっと緑っぽい青の屋根もあるんですよ。いや、外装の白もなんか全部違う気がするな~」
綾香「(クスッと笑う)」
公平「あ、ごめんなさい。なんか一人ではしゃいでしまって」
綾香「ううん。野田さんって結構子供っぽい人なんだね」
公平「そうですか? 初めて言われました」
アナウンス「まもなく電車が到着致します」
公平「来ますね」
電車が近づいてきて止まる音。
電車の扉が開く音。
白杖で道を突く音。
公平「気をつけていってらっしゃい」
綾香「いってきます」
電車の扉が閉まる音。
電車が少しずつ走り出す音。
電車の音(車内で聞こえる「ガタンゴトン」)。
綾香「(クスッと笑う)」
キーボードを叩く音(同時に入力音声も流れている)。
涼子「綾香、そろそろお昼にしよっか」
綾香「うん!」
キーボードを叩く音。
公平「……そろそろ帰ってくる頃かな」
固定電話が鳴る。
アナウンス「まもなく電車が到着致します」
電車の扉が開く音。
公平「おかえりなさい。綾香さん」
綾香「ただいま」
白杖で道を突く音。
公平「綾香さんはお仕事、何をされているんですか?」
綾香「翻訳業務。豊橋駅の小さいビルで、私と同い年の女性と働いてる」
公平「翻訳業務って具体的にはどんな?」
綾香「研究者のレポートやスピーチを、音声入力のパソコン使って英語に訳してる」
公平「英語できるんですね」
綾香「駅員さんも英語はできるでしょ?」
公平「いや、僕は全然。中学レベルですかね」
綾香「知ってた? 英会話って大体、中学校英語でいけるのよ」
公平「その言葉よく言いますよね。でも論文とかを翻訳するってなると、全然使えないですよね」
綾香「そりゃそうよ。まず日本語でも使わない言葉が出てくるんだから」
二人の笑い声。
白杖を道で突く音が止まる。
綾香「見えなくなってから私に何ができるんだろうって考えた。こんな私でもどうすれば人の役に立てるのか」
公平「そうやって考えた末に見つけた仕事が翻訳業だった……」
綾香「もう必死で英語を勉強したわ。何回好きな音楽聞こうとして脱線しそうになったか」
公平「それでも最後まで自分が敷いた線路を走り抜いたんだ。すごいね」
綾香「公平さんはなんで駅員になったの?」
公平「う~ん……まあそれはまた明日話しますよ。これ以上話したら、次の電車の帰宅ラッシュに綾香さんが巻き込まれそうだし」
綾香「そうね。ありがとう。じゃあね」
白状で道を突く音が少しずつ小さくなる。
明るい音楽(M)が流れ始める。
小鳥のさえずり音。
白杖で道を突く音。
公平「俺が駅員になったのは、当然電車が好きだからってのもあるんだけど、人と関わりたかったからでもあるんだよね」
綾香「……」
公平「運転手や車掌はさ、小さな箱に籠りっきりじゃん? 俺はそれがちょっと合わないっていうか……」
綾香「それよりかは直接人と話して、人の役に立ちたいってこと?」
公平「うん。それもバリバリ忙しい都会の駅で。俺、暇なのが一番嫌いなんだよ」
綾香「……」
公平「だから正直さ、この駅に配属って聞いた時はショックだった。同期は忙しそうな駅で、これからいろんな経験できるんだろうな~。それに引き換え、自分は暇な駅で一日時間を持て余すのかな~とか。すごいくだらないことで不貞腐れてた。完全に仕事なめてたよ」
綾香「・・・・・でも今は違うでしょ?」
公平「まあね」
電車が近づいてきて止まる音。
電車の扉が開く音。
白杖で道を突く音。
公平「気をつけていってらっしゃい」
綾香「いってきます」
キーボードを叩く音(同時に入力音声も流れている)。
涼子「綾香、お昼にしよっか」
綾香「うん」
電車の音(車内で聞こえる「ガタンゴトン」)。
電車の扉が開く音。
公平「おかえりなさい」
白杖で道を突く音。
綾香「公平さんの気持ちもわかるよ」
公平「え?」
綾香「朝の話。私も都会で働くキャリアウーマンに憧れたからね。見えないけど、高層ビルの景色の良いところで、ちょっと偉そうに部下に命令して働いてみたかった」
公平「(小さめの声で)綾香さんの部下大変そう……」
綾香「今何か言った?」
公平「痛い。ちょっと強く掴まないでくださいよ」
綾香「(笑う)」
公平「でもよかったじゃないですか。都会で働く夢が叶って」
綾香「それがそうでもないわ。都会は都会で疲れるのよね」
明るい音楽(M)が止まる。
白杖で道を突く音も止まる。
綾香「都会にいる人間はみんな、何かに縛られているような感じがする。そして何より都会は寒くて、私には合ってないみたい……」
公平「綾香さんは下地駅みたいな、都会から離れた所の方が温もりを感じると?」
綾香「私はこっちの方が好きかな」
公平「自分も。今は下地駅が好きです」
交通系カードが改札を通す音。
綾香「今日もありがとう」
公平「また明日」
綾香「うん」
白状で道を突く音が少しずつ小さくなる。
坂井「数日で人ってそんなに変われるんだね」
公平「あ、坂井さん。お疲れ様です。あれ、今日別の駅でしたよね。いつからいたんですか?」
坂井「さっき長谷川さんが乗ってたのと同じ電車だよ。気づかなかった?」
公平「すいません」
坂井「彼女に気を配ることも大切だけど、周りも見ないと。お客様は彼女だけじゃないよ」
公平「そうですよね」
坂井「まあそれくらいすぐにできるようになるでしょう。今の野田さんがキープできればね」
公平「良かったですか? 綾香さんへの対応」
坂井「見ている分には問題なかったと思うよ。長谷川さんはどう思ったかわからないけど……ただ一個だけ言っておこっかな」
公平「え?」
坂井「中途半端な気持ちで、彼女に特別な感情を持つのだけはやめておいたほうがいいよ」
公平「……どういう意味ですか?」
坂井「そのままの意味だよ」
公平「……」
坂井「……まあその調子でこれからも頑張って」
蛇口から水が出ている音。
綾香「洗い物はもうない?」
たまき「うん、今洗ったコップで全部終わりよ。ありがとう」
蛇口の水の音が止まる。
綾香「じゃあそろそろお風呂入って寝よっかな」
たまき「ねぇ、綾香。最近なんか良いことあった?」
綾香「え、なんで?」
たまき「お風呂は先に譲ってくれたし、洗い物も綾香が自分からやるって言ってくれた。それに顔がここ数日ずっと楽しそうだから」
綾香「……なんにもないよ」
たまき「ホントに?」
綾香「ホント。おやすみ」
たまき「はい、おやすみ」
小鳥のさえずり音。
電車の走行音。
交通系カードが改札を通す音。
公平「ご乗車ありがとうございます」
白状で道を突く音が少しずつ大きくなる。
公平「おはようございます」
綾香「おはよ」
白杖で道を突く音。
公平「止まります」
白杖で道を突く音が止まる。
公平「豊橋駅へ連絡してきます」
電車の通過音。
綾香「……今日は全然話さないね」
公平「え、そうですか? いつもと変わらないと思いますが……」
綾香「二日前は屋根の色が微妙に違う~とか言って、五歳児みたいにはしゃいでたくせに。同じ人とは思わないわ」
公平「じゃあ今日は四歳児のようにはしゃぎましょうか?」
綾香「喧嘩売ってる?」
公平「別にそんなことありませんよ」
綾香「じゃあ何よ、その態度は」
公平「……何もありませんよ」
綾香「……どうしたの?」
公平「だから何もありませんって……」
綾香「……」
公平「……電車来ます」
電車が近づいてきて止まる音。
電車の扉が開く音。
白杖で道を突く音。
公平「……いってらっしゃいませ」
綾香「……あなたって一体なんなの?」
電車の扉が閉まる音。
電車が少しずつ走り出す音。
電車の音(車内で聞こえる「ガタンゴトン」)。
綾香「(フッと笑い)私バカみたい……」
アナウンス「豊橋。豊橋です。右側の扉が開きます。ご注意ください」
電車の扉が開く音。
坂井「長谷川さん。おはようございます」
綾香「え? もしかして坂井さん?」
坂井「ピンポン。正解」
白杖で道を突く音。
綾香「坂井さん、豊橋駅で働いてたのね」
坂井「はい。昨日もいたのですが、切符売り場担当でして」
綾香「じゃあ豊橋駅にいても、毎回私をサポートしてくださるわけではないんだ」
坂井「そうですね。個人的にはすごく残念ですけど」
綾香「え?」
坂井「……野田はどうですか? ちゃんと愛想良くできていますか?」
綾香「ええ……」
坂井「何か嫌な思いをされたらいつでも言ってください。僕からキツく言っておきますので」
綾香「坂井さんはいつも優しいわね。誰かさんとは大違い」
坂井「……長谷川さん。近いうちにご飯行きませんか?」
綾香「え?」
坂井「すごく美味しいイタリアンがあるんです。よかったら今晩どうですか?」
綾香「……」
キーボードを叩く音。
キーボードを叩く音が止まる。
公平「じゃあお先にお昼休憩いただきます」
仲村「おう」
キーボードを叩く音(同時に入力音声も流れている)。
綾香「え? 今なんて?」
キーボードを叩く音(同時に入力音声も流れている)が止まる。
涼子「綾香さ、もう私が何も言わなくても結構仕事できるようになってきたじゃない?」
綾香「そうかな?」
涼子「うん。それで、もし綾香が望むんだったら、在宅勤務に変えてもいいかなって思うんだけど、どうする?」
綾香「……」
涼子「ほら綾香の立場だとさ、やっぱり朝の通勤ラッシュとか帰宅ラッシュは大変でしょ?」
綾香「(苦笑して)もう慣れたよ」
涼子「そう言うと思った。まあもし気が変わって在宅勤務にしたくなったら、いつでも言って」
綾香「うん……ありがとう」
ドアの開く音。
仲村「お疲れさん」
公平「おかえりなさい。あれ、休憩十五時までですよね? まだ十分ありますよ」
仲村「ちょっとサボってた書類仕事を片付けようと思ってな」
机の引き出しを開ける音。
ボールペンのノック音。
仲村「また何か悩んでいるのか?」
公平「え?」
仲村「朝から顔が真っ白だ。なんかあったのか?」
公平「……なんもないですよ」
仲村「それならその表情で働くのはやめろ。この電車を利用してくださっている全てのお客様に対して失礼だ」
公平「はい、すいません」
仲村「……彼女と何かあったのか?」
公平「……いえ。彼女は何も悪くありません。悪いのは全部自分なんで」
バラード系のBGM
女性たちの楽しそうな話し声。
綾香「美味しい!」
坂井「でしょ? ここのパスタめちゃくちゃ美味しいんですよ」
綾香「熱っ」
坂井「あ、ピザは焼きたてなんで注意してください。って、今言っても遅いですよね」
綾香「五秒前に言ってほしかったです」
二人、笑う。
坂井「いや~でも嬉しいです。長谷川さんが僕のお誘いを受けてくださるなんて」
綾香「坂井さんとは一度外で会ってゆっくりお話してみたかったの」
坂井「そうなんですか」
綾香「ずっと前から聞きたいことがありまして」
坂井「なんですか?」
綾香「坂井さんはどうして私にそんな優しいんですか?」
坂井「え?」
綾香「もちろん駅員さんはみんな優しいんですけど、でも特に坂井さんが一番優しく感じて……」
坂井「……」
綾香「勘違いだったらごめんなさい。もしかして私に特別な感情を持ってますか?」
坂井「……気づいていたんですね」
綾香「はい、なんとなくでしたけど。ほら、私って見えない分、気配や声、空気とかには敏感ですので……」
坂井「長谷川さん。あなたにお話したいことがあります」
綾香「はい」
坂井「右手を出してもらえますか?」
綾香「え?」
固定電話の鳴る音。
仲村「はい、下地駅の仲村です。お、君か……わかった。まだ帰ってないから大丈夫……はいはい」
電話を切る音。
ドアの開く音。
公平「じゃあお先に失礼します」
仲村「あ~待て待て、野田君」
公平「え?」
仲村「彼女が今から帰ってくるそうだ。一緒にホームまで迎えにいこう」
公平「でも、自分今日は九時で上がり……」
仲村「このままで今日を終えたくないだろう。行かないと彼女、取られてしまうぞ」
電車の通過音。
仲村「なあ、野田君。なんで坂井君が君に厳しく当たったか、わかるか?」
公平「自分が手を抜いて働いてたからじゃないんですか?」
仲村「それもあるだろうが、でも一番の理由はそれではない」
公平「え? じゃあどうして?」
仲村「坂井君が君に厳しく当たったのは……」
電車が近づいてきて止まる音。
電車の扉が開く音。
公平「坂井さん」
坂井「おう、お疲れ。仲村さんもお疲れ様です」
仲村「お疲れさん」
白杖で道を突く音。
電車の扉が閉まる音。
電車が走り出す音。
仲村「綾香ちゃん。こんばんは」
綾香「仲村さん。こんばんは」
坂井「あれ、野田さんはなんで制服じゃないの? もしかして帰るとこだった?」
公平「ええ、まあ」
坂井「ふ~ん。で、帰る直前だった野田さんがわざわざ彼女を迎えに来た理由は何?」
公平「いや、仲村さんについてこいって言われまして……」
仲村「俺何か言ったか?」
公平「は?」
仲村「自分から、どうしても行きたいですって言ったんじゃないか。若いくせに物忘れが激しいな」
公平「え?」
坂井「そっか。じゃあ何か長谷川さんにとっても大事な話があるんだね」
公平「別にそういうわけじゃ……」
仲村「坂井君。どうやら我々はお邪魔虫みたいだ」
坂井「ですね。じゃあ長谷川さん、また」
綾香「え? あ、坂井さん。ご馳走さまでした」
少しの間。
公平「……坂井さんとご飯行ってたんですか?」
綾香「……ええ。イタリアン、ご馳走になったの。美味しかったな~」
公平「……それは良かったですね」
綾香「……」
公平「……」
綾香「……告白された」
公平「え?」
綾香「坂井さんから、これからもあなたを支えたいって……」
公平「……」
綾香「……私、その申し出を受け入れたわ」
公平「……そうですか」
綾香「……じゃあ」
公平「試してるんですか? 俺の気持ちを」
綾香「え?」
公平「そんな思わせぶりな言動をとることで、俺がどう反応するのか」
綾香「……」
公平「知ってるんですよ。坂井さんがどうしてあなたにすごく肩入れされているのか」
綾香「私のことが好きだからでしょ?」
公平「違います。まあ確かに好きだからですけど、でも恋愛感情の意味の好きじゃありませんよ。だってあの人、左手に指輪してますから」
テーブルにマグカップを置く音。
坂井「ありがとうございます」
仲村「さっき、野田君に君の家族のことを話したよ。坂井慎也が本当はどういう人間か」
坂井「(苦笑し)そんなにカッコいい人間じゃありませんよ」
仲村「……変われるといいな」
坂井「ええ」
コーヒーを飲む音。
電車の通過音。
公平「坂井さん。今年で八歳になる娘さんがいらっしゃるそうです。どこにでもいそうな、小さくて元気な小学生の女の子。だけど一つ、彼女にはできないことがある」
綾香「……私と同じで目が見えない」
公平「知ってたんですか?」
綾香「つい一時間程前に聞かされた」
バラード系のBGM。
女性たちの楽しそうな話し声。
坂井「長谷川さん。あなたにお話したいことがあります」
綾香「はい」
坂井「右手を出してもらえますか?」
手と手が重なる音(ハイタッチのような音)。
綾香「え? 坂井さん、左手に嵌めている物って……」
坂井「はい、指輪です。僕、結婚してるんですよ。娘も一人いて、今は七歳です」
綾香「じゃあこれからって歳ですね。それで、私に話したいことって?」
坂井「実は僕の娘、目が見えないんです」
綾香「え?」
バラード系のBGMが止まる。
綾香「だから私に一段と優しく接してくれていたのね。坂井さんにとって私は、大きくなった娘さんのような存在だった」
公平「そして俺に対して本気で怒った。そりゃ腹も立ちますよね。あんな姿勢じゃ……」
綾香「……そうね」
公平「……」
綾香「……」
公平「……さっきの坂井さんの言葉は本当ですか? これからもあなたを支えたいって」
綾香「……本当」
公平「仕事の意味でですか? それとも……」
綾香「……仕事の意味でよ」
公平「そっか……良かった」
綾香「え?」
公平「……朝はごめんなさい。昨日坂井さんに、中途半端な気持ちで特別な感情を持つな、って言われてからいろいろ考えた」
綾香「……悩んでいたのはやっぱり私が理由だったの?」
公平「……それで今日、あくまで駅員として綾香さんと向き合おうとした。でも……無理だった」
綾香「……」
公平「俺、綾香さんのことが好きです。笑われるかもしれないけど、俺はたった数日で、たったの数メートルの、たった十分の会話で好きになりました。これからは仕事以外でもあなたを支えたい」
綾香「……」
公平「……ダメですか?」
綾香「……私は視覚障害者で、もうアラサーよ。公平さん、まだ二十三でしょ? まだこれから先、いろんな出会いがあると思う。私なんかよりもっと綺麗で健康な人が——」
抱きしめる音。
公平「俺はそんなことを聞いてません。あなたの気持ちを聞いているんです」
綾香「……」
公平「俺と付き合ってください。答えは「はい」か「いいえ」かの二択です」
綾香「……」
公平「……」
綾香「……はい」
公平「……マジで? ホントに?」
綾香「うん」
公平「……ありがとう、綾香」
引き離す音。
公平「……俺は今、綾香の左手側の隣に立っています」
綾香「……」
公平「……」
綾香M「10月21日21時20分。長谷川綾香は久しぶりに手を握った。相手は野田公平。小さな駅で出会い、たった数日、たった数メートル、たった10分の会話で好きになった、すごく大切な人」
白状で道を突く音。
公平「あ、誰か改札の向こうで俺たちのことをすごく見ている人たちがいる」
綾香「男?」
公平「ううん、どっちも女性。一人はショートカットで歳は三十歳くらい。もう一人はロングヘアで歳は五十歳前後ってとこかな。まあ多分、単なる親子だね」
綾香「(ボソッと)親友と母よ」
公平「え?」
綾香「ううん、なんでもない」
小さな拍手の音。
涼子「綾香のこれからの働き方についてお母さんに相談しに行ったら、まさかその帰りにこんな素敵なものが見られるなんてね」
たまき「涼子さんも早く見つけないとね」
涼子「(苦笑して)親子揃って似たようなこと言わないでください」
白杖で道を突く音。
公平「ねえ」
綾香「何?」
公平「もしよかったらさ、坂井さんの娘さんに会いに行かない?」
綾香「どうして?」
公平「上手く言えないんだけどさ、綾香の姿を伝えたら、娘さんに光を与えられるんじゃないかな~って」
綾香「……」
公平「もちろん、父親である坂井さんも、母親も既に光になっているよ。そこにさ、プラスして綾香が行けば、娘さんのこれからの人生、もっともっと楽しくなるんじゃないかな~って思うんだけど……どうだろう?」
綾香「……私が光になれるかな……」
公平「大丈夫だよ。絶対なれるって!」
綾香「……それなら会ってみようかな」
公平「よし、じゃあ今から駅員室行って、坂井さんの許可貰いにいこ」
綾香「え、今から?」
公平「うん。ちょっと軽く走ろっか」
綾香「絶対に手離さないでよ」
公平「了解」
二人の軽く走る音。
綾香M「目の前はトンネルのように真っ暗でも、顔を少し上にするといろんなライトが照らしてくれている。赤色のライト、青色のライト、黄色のライト。ライトは人それぞれ違っていて面白い」
小鳥のさえずり音。
電車の走行音。
白杖で道を突く音。
公平「おはようございます。(小さめの声で)綾香」
綾香「おはよ、公平」
綾香M「そして私には、線路を一緒に歩んでくれる人がいる。ちょっと不器用だけど、でも私のことを大切に思ってくれている」
電車が近づいてきて止まる音。
電車の扉が開く音。
白杖で道を突く音。
公平「気をつけていってらっしゃい」
綾香「いってきます」
電車の扉が閉まる音。
電車が少しずつ走り出す音。
綾香M「たまに「目が見えないと可哀想だね」「辛くない?」って言ってくる人がいるけど、人間生きていれば誰だって辛くて可哀想なことがある。目が見えていようが、見えてなかろうが……」
電車の扉が開く音。
白杖で道を突く音。
綾香M「私には今ハッキリと言えることがある。人は誰でも光になれる。視覚障害者は決して不幸でもなければ、可哀想な運命でもない。見えないからこそ、たくさんの人と繋がることができた。好きな人にも巡り会えた。たった10分の道のりが生んだ奇跡。私はこれからも、誰よりも幸せな人生を歩んでいく。長谷川綾香は恵まれた人間だから」
『10分の恋路(ラブロード)』(完)
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