「ラス・メニーナスの乙女」
人 物
金沢陽(16)
高槻順二(29)
○美術室前・廊下
舞台中央が美術室。上手側に黒板と画材が入った棚、中央に生徒用の机と椅子、奥に絵画のレプリカが数点置いてある。
下手が美術準備室で、デスクに高槻順二(29)が座っている。
スケッチブックや教科書を抱えた金沢陽(16)が上手から現れ、美術準備室のドアをノックする。
陽「高槻先生こんにちは」
高槻、準備室から出てくる。
高槻「はいこんにちは。どした、授業始まるけど」
陽「部誌。いつものとこになかったんですけど」
陽、左の手のひらを差し出す。
高槻「あ、ごめんごめん。どうせこの時間に部長に会うからいいやと思って」
陽「良くないです。部活日誌は毎朝部長が職員室前から回収する決まりです」
高槻「はい、すいません。待って、今渡すから」
高槻、1度準備室の奥に戻り日誌を持って出てくる。
高槻「にしても毎日律儀だね。美術部の活動記録なんてそんなに書くことある?」
陽、高槻の言葉に眉をひそめる。
陽「先生、まさか日誌読んでないんですか?」
高槻「え、あっ」
気まずい沈黙ののち、陽がため息をつく。
陽「はぁ……まぁいいですけど」
高槻「いや、ほら、忙しくてさ……」
陽「じゃ、受け取ったので失礼します」
高槻「はい、おつかれさまでーす」
陽、深々とお辞儀をしてから、準備室の隣の美術室に入っていく。
○美術室・中
日誌を受け取った陽、美術室に入って教室の後ろ(下手寄り)の席に座る。
高槻も準備室から出て、チャイムが鳴ると同時に美術室へ入る。
高槻、黒板に大きく「自画像」と書き、3枚の絵画を貼りだす。
高槻「1枚目、これは主にフランスで活動していた画家、ゴッホの自画像です。ゴッホは生涯に40枚以上の自画像を描いた人として有名ですね。なぜ彼がそんなに多くの自画像を描いたのか、理由はっきりしていません。ただ歴代の自画像を並べると、見た目だけじゃなくて画風やゴッホの表情も徐々に変化しています。気になる人は教科書34ページあたり見てください」
陽、そっと教科書を開く。
高槻「で、真ん中はレオナルド・ダヴィンチの自画像。色味が見づらいから出来るだけ大きく印刷してきたんだけど、後ろの方見えなかったらすいません」
高槻、教室の後方の座席をちらりと見る。
高槻「ゴッホは色鮮やかでまさに絵画って感じだけど、ダヴィンチはこれ、チョークで描いてるらしいです。色を使わずに描かれたドローイングですね。ただ、細部まで緻密に描く画風は『モナリザ』あたりと共通します」
高槻、黒板の上に並んでいる「モナリザ」のレプリカを指さす。
高槻「とまぁこんな風に、自画像ってのははただ自分の顔を描くだけではありません。自分がどんな人間かを表現することができます。その辺一番分かりやすいのがこれかな」
高槻、3枚目に貼られているピカソの自画像を指さす。
高槻「え、化け物じゃんって? 落書きにしか見えない? 確かに、自画像って言われなきゃ人かどうかも怪しいですよね。でもピカソの作風がよく表れた1枚なんですよ。まぁ今日はさすがに抽象画描かれても評価できないけど、要は自分らしい作品であればなんでもOKってことです。画材は自分の鉛筆でもいいし、石炭とかクレパスも貸し出せます」
高槻、黒板の横に備え付けられている棚に画材を取りに行く。その時、棚の上に飾られている「ラス・メニーナス」のレプリカが目に留まり、黒板前まで持っていく。
高槻「これは自画像ではないんだけど、僕の好きな絵。ベラスケスっていう宮廷画家の作品です」
ずっと教科書に目を落としていた陽、顔を上げて高槻を見る。
高槻「えーと、これ、この絵の具を持ってる人がベラスケスです」
高槻、絵の左側を指さす。
高槻「この絵ちょっとややこしいんだけどさ、ベラスケス自身が『絵を描く自分』を描いてるのね。俺はこれも一種の自画像かなって思ってる」
陽、手を挙げて発言する。
陽「その人、どこ見てるんですか?」
高槻「んー、諸説ある。奥の小さい鏡に映ってる国王夫妻が絵のモデルをしてるとか、これ自体がでっかい鏡に映されてて、この真ん中の王女を描くための作品だとか、いろいろ?」
陽、釈然としない表情。
高槻「えーと、つまり何が言いたいかって言うと……これは俺の勝手な解釈なんだけど、ベラスケスは、自分が宮廷画家であることに誇りを持っていたんじゃないかな。王族と共にベラスケス本人が描かれていることは、些細だけど大きな意味があるように感じます。『自分らしい絵』ってのはそういうのでもいいんです」
高槻、教室を見回す。
高槻「まぁ、いまは細かいことは考えなくていいです。さて、席も移動していいから描き始めてください。あ、もし鏡忘れたって人がいたら取りに来て。え? 紙? 何スケッチブックごと忘れたの? えーと、画板貸すから誰かに紙1枚貰って」
高槻がほかの生徒と話している間、陽は座席を教室の後ろ(下手)に向けて机に鏡を置く。角度を調節して自分を映し、スケッチを始める。
高槻、席と席の間を練り歩く。
高槻「今日この時間だけで描いてもらうから、あんまり色付けることは考えない方がいいですね。そうだなー、今の自分をそのまま描くより、好きなことしてる時の自分をイメージしてください。部活やってる人はユニフォームに描き換えてみたり、いつも使ってる道具を持たせてもいいですし」
やがて陽のところまでやってくる。
(陽のスケッチブックには、すでに鏡に映った陽そのままの姿を切り取った大雑把な下書きが描かれている)
高槻「お、早いねー相変わらず」
陽、何も答えずにスケッチブックに集中する。
高槻「……でもなんで後ろ向き?」
陽「こっちの方が、美術室らしさが出るかと」
高槻「背景の画角か。良いね、さすが部長」
陽「……今は部長じゃないので」
高槻、しばらく陽の手元を見守った後、踵を返して教卓に戻る。
陽、一瞬手を止めて教卓を振り返り、高槻の目を盗みながら高槻の顔をスケッチする。
しばらくするとチャイムが鳴り、美術の授業が終わる。
高槻「はい、じゃあ今日はここまで。描けたところまででいいので提出して行ってください」
陽、号令をかける。
陽「起立、礼。ありがとうございました」
陽、スケッチブックを高槻に渡し、教室を出る。
○美術室・夕方
放課後。高槻、準備室のデスクに戻りデスクに積み重ねられた生徒のスケッチブックを採点していく。
無人になった美術室、陽がスケッチブックサイズの木枠を教室中に立てていく。1番最後に高槻が枠に収まるような場所に立てかけ、手前に座りえんぴつを取り出す。木枠をキャンバスに見立て、宙にスケッチを描いていく。
高槻、陽のスケッチブックを開く。
高槻「部長は安定のA+、っと……」
名簿に評価を書き足した後、しばらくスケッチブックを眺める。
高槻「ちゃっかり俺まで描いてあるし。……この顔、ちょっと美化しすぎじゃない?」
高槻、陽のスケッチブックを採点済みの山に置き、次の採点に入る。
暗転
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